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成人式の思い出

みんなかつては、二十歳でした。

人それぞれがちがう想いで成人式を迎えます。
大人の方には懐かしいエピソード、
これから大人になる方はご参考に…。

お客様の思い出

  • 宮崎県 73歳

    私の成人式はもう53年前になります。当時私は一人住まいで仕事をしていました。生活が苦しい中なのに、ある日母は私のために成人式の中振袖の着物をかかえて帰ってきたのを思い出します。
    美容室で着付けをしてもらい、母とえびのにいた伯父がお祝いに来てくれて、宮崎市民会館の前で3人で撮ってもらった写真は大切な思い出です。

  • 福岡県 49歳

    29年前、9歳上の姉のお下がりの振袖を着ました。当時の私は古典柄だったお下がりの振袖が大嫌いでした。(若かったので)
    29年後の今は、古典柄もステキだったと思えます。
    そして、2021年の成人式で次女がその振袖を着ることになりました。「本当にこれでいいと?」と確認すると「これがいい!!」と言ってくれました。この古典柄の振袖は、姉から私へ、姉の娘から私の娘へと代々ゆずり継がれてます。

  • 広島県 60歳

    私の成人式の日は雨が降っていました。朝早くから髪をセットして母に着付けをしてもらいました。祖母や父母と写真を撮り、式場まで送ってもらいました。
    自分にも娘が生まれ、成人式には母にしてもらったように娘にも着せてやりたいという気持ちで着付けを習いました。資格まで取って30年の月日が過ぎました。振袖を何百人の方に着せてあげたでしょう!今ではその着付けの資格が本当に役立ってます。

  • 山口県 61歳

    40年以上前です。当時私の住んでいる町ではお振袖は派手になりすぎるので着てはいけないことになっていました。それでも母は私と、2つ上の姉の為に振袖を用意してくれていました。私が袖を通したのは22歳の時で、姉の結婚式でした。その日に着られて嬉しかったです。
    私も母になり娘3人に振袖をそれぞれにつくりました。娘たちにも心を込めて成人式をお祝いしました。振袖はいつまでも思い出に残ります。きっとあとになって嬉しい気持ちを感じてくれると思っています。

  • 京都府 58歳

    娘が成人式を迎えたのは7年前でした。振袖を着て参加するのに車で会場まで送っていったときのことを今でも覚えております。
    娘の振袖姿を見て、私自身が成人式を迎えたときのことを思い出しました。当時の自分の両親の気持ちが分かり、改めて親のありがたさを感じました。和服を通じて私が感じた「親への感謝」「子供への思い」を娘も感じるでしょうか。

  • 佐賀県 56歳

    午前中に始まる成人式に間に合うように、夜明け前から美容室に行き髪のセットと振袖の着付けをしてもらいました。
    久しぶりに会った同級生と会場の外でずっと楽しく立ち話しをしたのを覚えています。

  • 熊本県 53歳

    働き始めて初めて迎えた夏のある日、寮に電話があり自宅に帰ると、母に自転車で料亭へと連れて行かれました。そこでは呉服の展示会が。「これば買うごと決めたけん!」ローン用紙の連帯保証人欄にはすでに母の名前が記されていました。そんな出来事があった成人式当日。朝早くから夜遅くまで、いや翌日の明け方まで振袖を着ていました。
    幼い頃から大奥の衣裳を着てみたかった私は、髪型だけは大奥風に日本髪に長いつけ毛を付けてもらいました。すごく満足で気分が良かったのを覚えています。
    夜は友人と振袖のままマハラジャに行く約束をしていたので振袖姿のまま踊りラストまで。そのあとは高校時代の友達も加わり、ショットバーへ。そこでたまたま会った男性(高校3年間一緒のクラスで、しかも誕生日も一緒でした)に明け方自宅まで送ってもらったのが、成人式の出来事。運命を感じました。でもその出逢いの前に一目惚れした人がいたので長続きはしませんでした。因みに一目惚れの人は今旦那様になってくれてます。

  • 佐賀県 56歳

    自身の成人式には出席していませんが、娘には妻の振袖を着せて出席させました。自慢の一眼で撮った娘の晴れ姿は、どこのアイドルだろうかというくらい可愛かった…という自己満足な思い出です。

  • 福岡県 61歳

    私は三姉妹の末っ子です。姉たちの成人式の時までは振袖での出席はできない時代でした。華美になるため、振袖を準備できない人への配慮でした。でも私の成人式の時には振袖を着ることができるようになりましたが、女の子が全員振袖を着ての出席というわけにはいかず、3割程度は洋服姿でした。当時お裁縫の勉強中だった姉が縫ってくれた振袖で出席しました。姉たちは自分の振袖を持っていたのに・・・当時複雑な思いでした。

  • 佐賀県 36歳

    私は黒が好きだった。だから振袖も黒にしたかった。でも今は亡き祖母が赤い振袖を着せたいというので、赤にした。絞の入ったお嬢様風な振袖。自分に似合っているとは思わなかったが、周りからの評判は最高で、祖母もご満悦だった。何より祖母が喜んでくれたことがうれしくて、今でもその振袖は私の宝物だ。今は祖母の残した黒留袖に袖を通す日を心待ちにしている。

  • 佐賀県 70歳

    随分昔の話になりますが…昭和44年、高校卒業後に大阪の会社に入社し、成人式の為ふるさとへ戻りました。成人式終了後は振袖から洋服に着替えて長崎へ遊びに行ったのはよかったけれど、大雪になり電車が動かず線路づたいを歩きながら電車が動くのを待ち、疲れ果てて帰った次第です。大阪へ戻りましたがその出来事もきっかけとなり、父親がふるさとへ戻って来いというので大阪の会社を退社し、今があります。父の言葉でふるさとに戻り、故郷で人生100歳時代の折り返しをしている今に感謝しながら日々を送っています。

  • 広島県 48歳

    当時反抗期だった私は成人式に出る気はなく振袖も着るつもりはありませんでしたが、成人式3か月前に友達みんなで振袖を着て行こうという話になり、急遽母と呉服屋に行きました。
    当日成人式の会場には行ったのですが、皆で写真を撮ってばかりでしたので式には参加しませんでしたが、とってもいい思い出になりました。
    数年後母から「一人娘だったので振袖を着たいと言ってくれたことが嬉しかった」と言われました。結納・友達の結婚式は全て振袖を着て出席したので、合計9回着ています。私のわがままを聞いてくれた母にはとても感謝しています。

  • 佐賀県 40代

    まだ携帯電話を持っている人がほとんどいなかった時代。うちの母は振袖を着た私の写真をテレホンカードにして、親戚中に配ってました。

  • 宮崎県 70歳

    私が18歳の誕生日には成人式に備えて振袖一式を母が用意していてくれました。しかし私が成人式を迎える時期間近に、母は急性白血病で亡くなり振袖姿を見せることはできませんでした。
    未だにそのことが心に残っています。

  • 佐賀県 67歳

    47年前、成人式を迎えました。約半世紀前になります。当時、世の中の状況は決して良くなかったんではないでしょうか。そして私の住んでいる地域は振袖のような特別な装いは禁止というので、私達は洋装で会場に向かいました。
    その為これまで一度も振袖に袖を通すことはありませんでした。
    「和服の日」が制定されましたので、改めて着物文化に親しむチャンスが増えたら良いと思います。

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